ナイアガラ方面作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/21 15:53 UTC 版)
「チッパワの戦い」の記事における「ナイアガラ方面作戦」の解説
7月3日、スコットとエリエザー・ホィーロック・リプリーの正規兵旅団からなるブラウン軍はエリー砦を占領した。7月4日には、ピーター・B・ポーター指揮下の民兵隊が到着して補強され、スコット隊はナイアガラ川沿いの陸路を北に進軍開始した。イギリス軍のトマス・ピアソン中佐の部隊が橋を壊したり、倒木で道を塞いだりしようと出てきたが、簡単に撃退された。 その日遅く、スコットはチッパワ町の近くチッパワ川の堤でイギリス軍の守備隊に遭遇した。短時間の砲撃を交わした後、スコット隊はストリーツ・クリークまで数マイル後退した。ここでスコットは、遅ればせながら翌日に独立記念日のパレードを彼の軍隊にやらせようと考えた。一方ブラウンは他の部隊を動かしてチッパワ川上流で川を渡った。 対抗するイギリス軍はフィニアス・リアル少将指揮下のカナダ軍右翼師団であった。リアルはスコットの旅団が民兵でなっていると思い、エリー砦はまだ機能しているとも思っていた。リアルはチッパワ川を渡り、アメリカ軍に攻撃をかけてナイアガラ川から後退させたうえで、エリー砦を救うことに決めた。
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