ナイアガラ川沖の湖上戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 15:35 UTC 版)
「オンタリオ湖での戦闘」の記事における「ナイアガラ川沖の湖上戦」の解説
8月7日、アメリカ軍戦隊はナイアガラ川河口沖でヨーの戦隊に遭遇した。両戦隊は慎重な操艦を繰り返して数日を費やした。チョウンシー側は長射程砲を持っている利点があり、長距離から交戦できる晴天を待ったが、ヨー側はカロネード砲を持っている利点があり、荒天での接近戦を望んだ。8月8日夜、突然のスコールでアメリカ軍のスクーナーハミルトンとスカージが転覆し、沈没した。これらスクーナーに乗船していた72名の内、53名が溺れた。 8月10日、イギリス戦隊が風上にあった。チョウンシーはその戦隊を2列に編成した。6隻のスクーナーをイギリス軍に近い戦列に、重量級の艦船を遠い風下の戦列に置いた。イギリス戦隊が接近すると艦砲の撃ち合いになった。午前11時半、チョウンシーは風上側の戦列に風下側に舵を切らせ、重量級艦船の風下に付くよう命令した。先頭を行っていたグロウラーとジュリアのスクーナー2隻が方向転換に失敗し、チョウンシー戦隊と切り離された。チョウンシーはこの2隻のスクーナーを救うために風上に向かうよりも風下に退くことを選択し、ヨーがチョウンシー本隊を追跡することを期待していた。しかし、ヨーは孤立した2隻に攻撃を集中し、両艦を捕獲した。
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