ドラマの舞台、古都・鎌倉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 21:32 UTC 版)
「俺たちの朝」の記事における「ドラマの舞台、古都・鎌倉」の解説
昭和50年代前半、神奈川県鎌倉のイメージに強い影響をもたらしたドラマである。作品の舞台となった古都・鎌倉が見直され、とりわけ江ノ島電鉄は1960年代からモータリゼーションの影響で利用者が激減し廃線寸前に追い込まれていたが、本作のヒットによって放映中からドラマに喚起された若者達の観光名所となった。主人公達が住んでいる設定の極楽寺駅周辺は連日の賑わいとなり、江ノ島電鉄が経営危機を脱するなどの影響を与えた。一方では極楽寺駅にあった当時の木製の伝言板が書き散らされて壊れ、江ノ島電鉄からの「この番組(俺たちの朝)のおかげで壊された」との訴えに日本テレビ側が応じて鋼製の伝言板を寄贈、更には記念スタンプや記念切符も日本テレビがデザイン。テレビ番組に因んで記念切符を発行したのはこれが鉄道史上初めてだったということで、記念切符はすぐに売り切れて増刷となり、江ノ島電鉄は史上空前の利益を計上したことで社長が感謝の意を伝えるために、当時の日本テレビ社長の小林與三次の元を訪れたほどであった。
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