ドミナートゥスの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 05:14 UTC 版)
「ドミナートゥス」の記事における「ドミナートゥスの誕生」の解説
古代ローマ帝国は、一般に最初のローマ皇帝とされるアウグストゥス(実質的にはガイウス・ユリウス・カエサル)から帝政に移行したとされる。しかしながらカエサルが暗殺された経緯から、アウグストゥスは君主制に対するローマ市民のアレルギーを熟知していた。そこでアウグストゥスは、実質としては君主でありながら、建前としては共和制を遵守する姿勢を貫き、これは後のローマ皇帝にも継承された。これを「元首政(プリンキパトゥス)」と呼ぶ。 しかしながら3世紀の危機と呼ばれる混乱期において、わずか1〜2年で皇帝が交代するという事態(軍人皇帝時代)が続き、ローマ皇帝の権威は失墜した。軍人皇帝時代の混乱の収拾を図るべく、皇帝ディオクレティアヌスは改革を行い、自らを「神聖なる(sacer)皇帝」と呼ばせるなど皇帝権威の再建に努めた。これらの儀式により「神聖なる」という付加形容詞は「皇帝の」の同義語とまで考えられるようになった。そのため、もはや皇帝権は単なる職権ではなく、ローマ皇帝は建前としても実質としても神権的な君主となったのだろう、と考えられてきた。この体制を後世になって専制君主政(ドミナートゥス)と呼ぶようになった。
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