デ・トマソ・505/38とは? わかりやすく解説

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デ・トマソ・505/38

(デ・トマソ・505 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 21:35 UTC 版)

デ・トマソ・505/38
カテゴリー F1
コンストラクター デ・トマソ
デザイナー ジャンパオロ・ダラーラ
先代 F1 / 801
主要諸元[1]
シャシー アルミニウムモノコック
エンジン フォード コスワース DFV 2,993 cc (182.6 cu in) V8 NA ミッドエンジン
トランスミッション ヒューランド DG300 5速
重量 563 kg (1,241.2 lb)
燃料 カストロール
タイヤ ダンロップ
主要成績
チーム フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ
ドライバー ピアス・カレッジ
ブライアン・レッドマン
ティム・シェンケン
コンストラクターズタイトル 0
ドライバーズタイトル 0
初戦 1970年南アフリカグランプリ
出走優勝表彰台ポールFラップ
110000
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デ・トマソ・505/38 (De Tomaso 505/38) は、イタリアの自動車メーカー、デ・トマソが製作したフォーミュラ1カー。デザイナーはジャンパオロ・ダラーラフランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ1970年F1世界選手権で使用した。

505/38はデビュー当時競争力が不足し、序盤4戦でリタイア3回、非完走扱い1回という結果であった。オランダグランプリではピアス・カレッジが事故を起こし、車体は反転し炎上、カレッジは死亡した。チームオーナーのフランク・ウィリアムズはひどく失望した。ウィリアムズが現在、チームのドライバーと距離を置く姿勢を取るのはこの事故に起因している。

505/38は一度も完走したことは無かった。フィニッシュしたのは1970年モナコグランプリ1970年カナダグランプリの2回のみで、優勝者からは11周および12周遅れであった。

デ・トマソ・505、2008年のグッドウッド・フェスティバル・オブ・スピード

F1における全成績

(key)

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 ポイント 順位
1970年 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ フォード コスワース DFV
3.0 V8
D RSA
ESP
MON
BEL
NED
FRA
GBR
GER
AUT
ITA
CAN
USA
MEX
0 -
ピアス・カレッジ Ret DNS NC Ret Ret
ブライアン・レッドマン DNS DNQ
ティム・シェンケン Ret Ret NC Ret

ノンタイトル戦における全成績

(key) (太字ポールポジション) (斜体ファステストラップ

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3
1970年 フランク・ウィリアムズ・レーシングカーズ フォード V8 D ROC INT OUL
ピアス・カレッジ 3
ティム・シェンケン DNA

参照

  1. ^ De Tomaso 505”. StatsF1.com. 2015年1月28日閲覧。



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