ディージェイ・スタイルの確立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:17 UTC 版)
「レゲエ」の記事における「ディージェイ・スタイルの確立」の解説
「ディスクジョッキー#レゲエにおけるディージェイとセレクター」も参照 サウンドシステムのDJは1960年代中期までは所属サウンドシステムで選曲をしながらイントロや間奏部分で曲紹介をするだけの存在であったが、ヴァージョンが発明された1960年代後期以降は、ヴァージョンに乗せたトースティングを歌手のようにレコーディングし、作品として発表するようになった。この手法を使い、1970年、U・ロイはデューク・リードのプロデュースにより「ウェイク・ザ・タウン(英語版)」(アルトン・エリス「ガール・アイヴ・ガット・ア・デート」のヴァージョンを使用)、「ルール・ザ・ネイション」(テクニークス「Love is Not a Gamble」のヴァージョンを使用)、「ウェア・ユー・トゥー・ザ・ボール」(パラゴンズの同名楽曲のヴァージョンを使用)の3曲を立て続けにリリース。従来の曲紹介や合いの手的なトースティングではなく、ディージェイとしてのメッセージを前面に押し出したこの3曲はサウンド・システムの観衆を熱狂させただけでなく、JBCとRJR両ラジオ局のヒットチャートの上位3曲を独占した。U・ロイに続いてデニス・アルカポーン、I・ロイ(英語版)、ビッグ・ユーツ(英語版)、ディリンジャーといったディージェイが登場し、ディージェイによるトースティングはレゲエ特有のボーカルスタイルとして定着していった。
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