ディーとともにイングランドにおいて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/15 08:32 UTC 版)
「エドワード・ケリー」の記事における「ディーとともにイングランドにおいて」の解説
ケリーは1582年ジョン・ディーと知り合ったが当初エドワード・タルボットと名乗っていた。ディーはすでに「スクライアー」すなわち水晶球観照者の協力によって天使と接触しようと試みていたがうまくいかなかった。ケリーはそれができると公言しており、最初の試みでディーにそう思わせた。ケリーはディーの正式の透視者になった。ディーとケリーは大変な時間と労力を「交霊」に費やした。1582年から1589年までケリーの人生はディーと密接に結びついていた。 ディーのために働き始めてから約一年後、ケリーは「ダンスタンの書」なる錬金術書と大量の赤い粉末を持って現われた。ケリーはそれを、彼とジョン・ブロークリー某が「霊的生物」によって導かれノースウィックの丘で手に入れたと主張している。(ケリーがグラストンベリー修道院跡で書物と粉末を発見したという話はイライアス・アシュモールが最初に公表したものであるが、ディーの日記とは矛盾している。)この粉末の秘密は書物に秘匿されていたと推測されるが、これによって卑金属を金に変成させることができる赤い「チンキ」を調合できるとケリーは信じていた。伝えられるところではケリーは、何年にもわたるディーとのボヘミア(現チェコ)滞在期間も含む長い年月の間に、数回だけその金属変成の力を示したという。
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