デアフリンガー_(巡洋戦艦)とは? わかりやすく解説

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デアフリンガー (巡洋戦艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/13 02:50 UTC 版)

艦歴
発注
起工 1912年1月
進水 1913年6月14日1913年7月12日
就役 1914年10月
退役
その後 1919年6月21日にスカパ・フローで自沈
1939年浮揚、1948年解体
除籍
性能諸元
排水量 基準:26,600トン、満載:31,200トン
全長 210m
全幅 29m
吃水 9.6m
機関 ギヤードタービン18缶2基 4軸推進、63,000hp
最大速 26.5ノット
航続距離 5,600海里(14ノット時)
乗員 平時:1,112名(士官44名)
戦時:1,390名
兵装 305mm連装砲 4基8門
150mm単装砲 12門
88mm高角砲 8門
88mm単装砲 4門
500mm魚雷発射管 4門

デアフリンガー (SMS Derfflinger) は第一次世界大戦時のドイツ帝国海軍巡洋戦艦で、デアフリンガー級巡洋戦艦の一番艦である。この艦は三十年戦争で戦ったブランデンブルク陸軍元帥ゲオルク・フォン・デアフリンガーの名にちなんで命名された。

艦歴

進水1913年6月14日だったが、事故のためこの進水は失敗し、わずか数センチしか進まなかった。結局進水は7月12日に再度行われ、この時は成功した。

「デアフリンガー」は就役するとフランツ・フォン・ヒッパー中将の第1偵察隊に配属された。第一次世界大戦が勃発すると、1914年12月16日にはヨークシャースカーボロ砲撃に参加した。

その後ドッガー・バンク海戦に参加し、3発の砲弾を受けたがイギリス艦隊の旗艦「ライオン」に砲弾を命中させている。1916年4月24日、「デアフリンガー」はグレート・ヤーマスローストフト英語版に対する砲撃に参加した。

1916年5月31日ユトランド沖海戦ではイギリス海軍の巡洋戦艦「クイーン・メリー」と「インヴィンシブル」(第3巡洋戦艦戦隊ホレース・フッド司令官坐乗)を撃沈したが、「デアフリンガー」自身も21発の直撃弾を受けて大破し、その修理に4ヶ月を要した。

第一次世界大戦の敗戦後はスカパ・フローに回航された。だがイギリス軍への引渡しを潔しとしなかった乗組員によって、1919年6月21日自沈させられた。沈没した「デアフリンガー」は1939年に引き上げられたが、解体されたのは第二次世界大戦が終わった後である。

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