ツマンタンガス山の戦い
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「独立混成第55旅団 (日本軍)」の記事における「ツマンタンガス山の戦い」の解説
ツマンタンガス山の第363大隊主力も、4月17日から米軍の攻撃を受け始めた。大隊は防戦を続けた後、5月12日にツマンタンガス山中腹に後退した。同18日、旅団は編成替えを行い、本部、第363大隊、第365大隊の3グループに分かれて、それぞれ随意の判断により遊撃戦に移ることとなった。この頃、第363大隊では糧食が全く尽き、栄養失調者が続出する状態となっていた。 その後、米軍の攻撃は一時緩慢になり、旅団将兵はツマンタンガス山北西方面に集まり食料収集に努めたが、7月下旬から再び敵の攻勢が活発化した。これに抗しきれなくなった旅団は、7月27日、残存兵力約1,500名を再び3つの梯団に分け、東方約20kmのシノマン山を目指すことになった。すなわち、第365大隊は北縦隊となり、ダット山を横断して東進。第363大隊は中央縦隊となり、カンガカン山、ダホ山を経て東進。旅団司令部は南縦隊となり、テンバンガを経て東進し、それぞれシノマン山を目指した。
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