ツマンタンガス山の戦いとは? わかりやすく解説

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ツマンタンガス山の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/25 01:43 UTC 版)

独立混成第55旅団 (日本軍)」の記事における「ツマンタンガス山の戦い」の解説

ツマンタンガス山の第363大隊主力も、4月17日から米軍の攻撃を受け始めた大隊防戦続けた後、5月12日にツマンタンガス山中腹に後退した。同18日旅団編成替え行い本部、第363大隊、第365大隊の3グループ分かれてそれぞれ随意判断により遊撃戦に移ることとなったこの頃、第363大隊では糧食が全く尽き栄養失調者が続出する態となっていた。 その後米軍の攻撃一時緩慢になり、旅団将兵はツマンタンガス山北西方面集まり食料収集努めたが、7月下旬から再び敵の攻勢活発化した。これに抗しきれなくなった旅団は、7月27日残存兵力約1,500名を再び3つの梯団分け東方約20kmのシノマン山を目指すことになった。すなわち、第365大隊は北縦隊となり、ダット山を横断して東進。第363大隊中央縦隊となり、カンガカン山、ダホ山を経て東進旅団司令部は南縦隊となり、テンバンガを経て東進しそれぞれシノマン山を目指した。

※この「ツマンタンガス山の戦い」の解説は、「独立混成第55旅団 (日本軍)」の解説の一部です。
「ツマンタンガス山の戦い」を含む「独立混成第55旅団 (日本軍)」の記事については、「独立混成第55旅団 (日本軍)」の概要を参照ください。

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