チャーマーズ自身が想定する自己批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/16 02:28 UTC 版)
「デイヴィッド・チャーマーズ」の記事における「チャーマーズ自身が想定する自己批判」の解説
チャーマーズ自身が論じているように、彼の立場の最大の問題が直感的に最も分かりやすい形で現れるのは現象判断のパラドックスである。 チャーマーズはゾンビが想定可能(つまり物理的な事実に意識体験は論理的に付随しない)という前提を取るが、その前提から議論を進めていくと、チャーマーズ自身が議論しているように「物理的事実に関して私達の世界と全く同じだが意識体験を完全に欠いた、双子のゾンビ世界」の想定が可能となる。 するとそこにはチャーマーズのゾンビ双子(チャーマーズと物理的に全く同型の意識体験だけを欠いた存在)がいる。チャーマーズのゾンビ双子は意識体験を全く持っていないにも関わらず、ハードプロブレムについて論文を書き、意識に関する新しい自然法則を探究すべきだ、と唱えていなければならない。そしてゾンビ世界の中で、構造的コヒーレンスの原則や構成不変の原理などの意識体験に関する新しい自然法則が持つだろう特徴について、この世界のチャーマーズと全く同じ分析を行っていなければならない。ここに直感的に大きい矛盾がある。つまりチャーマーズのゾンビ双子はいったいゾンビ世界の中で何について研究しているのか、と。 批判は、このおかしい状況を引き起こす事になるそもそもの原因であるゾンビ論法の部分に対し、想定可能性(Conceivability)や論理的付随性(Logical Supervenience)、必然性(Necessity)などの概念を分析しつつ行われる。
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