チャンピオン獲得
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:40 UTC 版)
「マイク・ホーソーン」の記事における「チャンピオン獲得」の解説
1957年よりフェラーリに正式復帰。この年は未勝利に終わるが、参戦した6戦中4戦で入賞し復活をアピールした。 1958年は、5度のチャンピオンファン・マヌエル・ファンジオが2戦の出走のみで引退。ホーソーンとスターリング・モスのイギリス人2者の間で、激しいチャンピオン争いが行われることとなった。 この年、全10戦中4勝を挙げたライバルのモスに対し、ホーソーンは第6戦フランスグランプリでポールトゥーウィンを飾ったのが、唯一の勝利だった。しかし優勝以外ではリタイヤが多かったモスに対し、ホーソーンは勝てないレースでも堅実にポイントを稼いだため、ランキングは拮抗することとなる。ホーソーンは優勝した第6戦フランスグランプリでモスに並ぶと、続く第7戦イギリスグランプリでランキング単独トップに立つ。その後は、1度もランキング首位の座を譲らず、最終的に1ポイント差でチャンピオンを獲得した。 2人の戦績を比較すると、モスは全ドライバー最多の4勝を記録したが、優勝以外では2位1度、他は全てリタイヤ(計5回)。ホーソーンは1勝だが、2位に5回、3位に1回入り、当時1ポイントが与えられていたファステストラップも、最多の5回を記録している。リタイヤは2回だった。 モスを下しチャンピオンとなったホーソーンだったが、その2ヶ月後このシーズン限りでのF1引退を表明した。これにはファッションモデルのジーン・ハワースと婚約しており以前からホーソーンが「結婚した男はレースに出るべきでない」と言っていたこと、非常に仲の良かったチームメイトの1人ピーター・コリンズが同年のドイツグランプリで事故死したこと、自らも肝臓に病を患っていたことが原因とされている。
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