ダービー以後、そして引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 23:48 UTC 版)
「ウィナーズサークル」の記事における「ダービー以後、そして引退」の解説
夏は栗山牧場で放牧・休養し、8月下旬に美浦に帰厩。松山は復帰レースとして「ミスターシービーと同じイメージでいた」と、菊花賞トライアルとして京都新聞杯を選択。当日は1番人気のオサイチジョージに次ぐ2番人気に支持される。レースでは最終コーナーから直線入り口で一旦は先頭に出るが、大外からバンブービギンの強襲を受け、オサイチジョージ、リアルバースデーにもかわされての4着。第50回菊花賞でもバンブービギンに次ぐ2番人気に推されるが、道中見せ場なくバンブービギンの10着に敗れた。レースから4日後、レース中に右橈骨手根骨及び右橈骨遠位端を骨折していたことが判明、長期の療養に入る。松山は5歳秋の毎日王冠での復帰を目指していたが、左前肢に屈腱炎を発症したことで復帰を断念。1990年9月6日に競走馬登録を抹消し、引退となった。
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