ダヴィッドの原画の経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/28 01:54 UTC 版)
ダヴィッドは画家で政治家でもあり、所属していたジャコバン党員に対して制作資金を募ったが必要額が集まらず、加えて、描かれている議員の一人であるミラボーが、没後に王との書簡が表沙汰になって裏切り者との印象を国民に与えるなど政治的理由もあり、1793年に作品完成を放棄した。 ルーブルの絵画サロンに出した下絵、原寸大のデッサンの中央部分はヴェルサイユ宮殿内にて保管。デッサンはダヴィッドの没後1826年に三等分されて競売に出され、1836年にルーブル美術館が全体を購入したが、現在、左右部分のデッサンは散逸。 コート内の展示と、北側の壁にあるダヴィッドの絵の再現画。 ダヴィッドによる球戯場のデッサン。天井がドーム型。 ギャラリー。複製画の展示。写真右端、コート側にボールを置く溝。 参加した議員たちの名前一覧。パリの議員の名。 南側の壁の説明文。国有化されたこと、文化財に指定されたこと、革命博物館になったことの三点を明記。 館内に展示されている、ダヴィッドの下絵のコピー。
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