タクシー、コンバーチブル、デイムラー車とその他の戦後の車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/09/29 01:51 UTC 版)
「カーボディーズ」の記事における「タクシー、コンバーチブル、デイムラー車とその他の戦後の車」の解説
戦後にカーボディーズ社はロンドンタクシー車両のディーラーであるマン・アンド・オーバートン社(Mann and Overton)とオースチン社との間でオースチン・FX3のボディ製造、最終組立、完成車の納入に関する交渉を行った。また、近代的な全金属製サルーンをコンバーチブルに改装する手法を開発した。この改装作業は初期のモノコック構造のヒルマン・ミンクス(Hillman Minx)、オースチン・サマーセット(Austin Somerset)、ヘアフォード(Hereford)、フォード・コンサル Mk1(Ford Mk1 Consul)、ゼファー(Zephyr)と後にフォード・コンサル Mk2、ゼファー、ゾディアック(Zodiac)に施された。 1954年にボビー・ジョーンズはカーボディーズ社をBSAグループに売却し、同グループは傘下の高級自動車メーカーであるデイムラー社の支配下にカーボディーズ社を組み入れた。これはカーボディーズ社をデイムラー車用の金属性ボディ製造工場にすることを意図した措置であったが、実現はしなかった。しかし、それまでにフォード車、オースチン車に活用してきたのと同様の手法でコンクエスト(Conquest)のサルーンをドロップヘッドに、ドロップヘッドクーペをコンクエスト ロードスターに改装し、マジェスティックとマジェスティック メジャー(Majestic Major)のサルーンボディも製造した。 BSA傘下で製造設備は拡充され、新たな工場が新設された。1958年にカーボディーズ社は自社の歴史の中で最も重要な車であるオースチン・FX4 タクシー(Austin FX4 taxi)のボディ製造、最終組立と納入を開始した。また、ジャガー・Eタイプのボンネット、トライアンフ社向けのパネル、アリエルとBSAのオートバイとスクーターといった製品で試作車のボディや治具類の供給を担当した。 1960年代と1970年代初めに引き受けた更なる契約はハンバー・ホーク、スーパースナイプ、シンガー・ヴォーグ(Singer Vogue)、トライアンフ・2000のサルーンをエステートへ改装する作業であったが、自家用車や商用車に関する契約は徐々に減少したことでFX4 タクシーの製造が同社にとってより重要なものとなっていった。
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