ゾンダーブルクの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/10 06:11 UTC 版)
「第二次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争」の記事における「ゾンダーブルクの戦い」の解説
プロイセン軍はデュペル堡塁を攻略したが、デンマーク軍の主力は対岸のゾンダーブルクへ移って守りを固めていた。プロイセン国王の従兄弟フリードリヒ・カール親王が北シュレースヴィヒ・ユトランド方面の最高司令官となると、参謀長にモルトケを採用し戦闘が再開された。 プロイセン軍は正面からの攻撃が困難と見ると北方のバレガルドからの渡海を企画し、輸送船150隻で1隻当たり150人分乗することで約20,000人の兵員をアルス島に上陸する計画とした。波浪によって二度の延期を挟み、三度目の機会となった6月29日午前2時の夜半から反撃の砲火の中を渡海し、午後3時に上陸に成功した。占領地を拡充し、即日にゾンダーブルクを攻撃。攻略した。7月1日にはアルス島全島の占領に成功した。アルス島の占領が首都コペンハーゲンに報じられるとデンマークは動揺し、クリスチャン9世はプロイセン・オーストリア両国に和議を提出した。
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