ソビエト連邦崩壊後の日本からナホトカ・ウラジオストクへの航路
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「ナホトカ航路」の記事における「ソビエト連邦崩壊後の日本からナホトカ・ウラジオストクへの航路」の解説
1992年、ウラジオストクが外国人に開放され、ナホトカ港の重要性が薄れ、1993年には日本総領事館やナホトカ航路(定期旅客航路)がウラジオストクへ移転された。その後、日本側の港が横浜から富山県高岡市の伏木富山港へ移転した。この航路は現在運休中である。ナホトカ港との貨物定期航路は現在でも維持されている。日本から主に中古車が多く輸出された。 ナホトカ航路に就航していたハバロフスク号、バイカル号、トルクメニア号は現役を引退している。 伏木富山港-ウラジオストク港航路には、ロシア極東海運が貨客船ルーシ号(乗客406名、12,798トン)が就航させ、概ね週一便を運航、月曜日ウラジオストク発、金曜日伏木発であった。 伏木富山港-ウラジオストク港航路は2009年12月25日より運休している。その理由は、ロシア連邦が輸入自動車への関税を引き上げたことから貨物輸送量が減少したことによる。就航していたルーシ号はロシアの別の海運会社に売却された。 ロシア極東海運の貨客船ルーシ号の運休後、2010年8月から韓国の東春航運がニュードンチュン号を同航路へ就航させ、隔週1便を運航していたが、現在運休中。
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