スポーツ界への進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/25 13:48 UTC 版)
「ベルナール・タピ」の記事における「スポーツ界への進出」の解説
1984年、前年まで所属していた自転車ロードレースチーム、ルノー・エルフ(英語版)のチームリーダーの座をローラン・フィニョンに奪われたため、自らが新チーム結成に動いていたベルナール・イノーに協力し、自身が当時経営していた、健康食品チェーン店のラ・ヴィ・クレール(フランス語版)をそのままチーム名にして結成。自らが同チームのマネジャーに就き、イノーに加え、グレッグ・レモンらもルノー・エルフから引き抜き、1985年にイノーが、1986年にレモンがそれぞれツール・ド・フランスで総合優勝を果たした。 1986年にサッカークラブ、オランピック・ドゥ・マルセイユ (以下、OM) を買収し同クラブの会長に就任。1980年代のOMは2部リーグへの降格を経験するなど成績が低迷しており、当時のマルセイユ市長は地元のシンボルであるOMの成績不振が政治に悪影響を及ぼすことを懸念しタピにクラブの買収を持ちかけた。タピは豊富な資金力で多くの有力選手を獲得しフランス国内を始め、UEFAチャンピオンズカップにおいても常に上位進出し、1993年に同大会を制する等、有数の強豪クラブへと成長させた。1980年代後半にはパリ・サンジェルマンFCとの対戦をル・クラスィクと命名し、試合の盛り上がりに一役買った。
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