スペイン領ギニアとは? わかりやすく解説

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スペイン領ギニア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/25 14:53 UTC 版)

スペイン領ギニア
Guinea Española (スペイン語)


1778年 - 1968年
スペインの国旗 (国章)
国歌: Marcha Real(スペイン語)
国王行進曲(1844年-1873年、1874年-1931年、1942年-1968年)


Himno de Riego(スペイン語)
リエゴ賛歌(1873年-1874年、1931年-1942年)

スペイン領ギニアの位置
公用語 スペイン語
言語 ファン語
宗教 カトリック
首都 サンタ・イサベル
スペイン元首
1844年 - 1868年 イサベル2世
1936年 - 1968年 フランシスコ・フランコ
総督
1858年 - 1859年 カルロス・デ・シャコン・イ・ミケリーナスペイン語版(初代)
1966年 - 1968年 ビクトル・スアンセス・イ・ディアス・デル・リオ英語版(最後)
変遷
フェルナンド・ポー島をスペインが獲得し、 リオ・デ・ラ・プラタ副王領の一部として統治。 1778年3月11日
Spanish evacuate Fernado Poo 1780年
フェルナンド・ポー島がイギリス奴隷制度廃止の拠点としての貸借地となる 1823年ー1843年
スペインのフェルナンド・ポー島の主権が再確認 1844年
リオ・ムニに保護領設立 1885年
Administrative union of the various colonies 1926年
フェルナンド・ポー島とリオ・ムニがスペインの海外県としての県が結成される 1959年7月30日
フェルナンド・ポー県とリオ・ムニ県それぞれに、県独自の自治権が与えられる 1964年7月1日
フェルナンド・ポー県とリオ・ムニ県が統合したまま、赤道ギニアとして独立 1968年10月12日
通貨 ペセタ
現在 赤道ギニア

スペイン領ギニア(スペインりょうギニア、スペイン語: Guinea Española)は、かつてアフリカ大陸西岸にあったスペイン植民地である。ギニア湾に面するギニア地域フェルナンド・ポー島及びアンノボン島からなるフェルナンド・ポー県と、大陸のリオ・ムニ及びコリスコ島などからなるリオ・ムニ県からなり、1968年赤道ギニアとして独立した。

概要

1778年のエル・パルド条約において、スペインはギニア地域のフェルナンド・ポー島と大陸のリオ・ムニの領有を認められた。ただし、実効支配地域は広がらず、1900年のパリ条約では、リオ・ムニの領有が確定した。1959年にスペインは島嶼部のフェルナンド・ポー島と大陸部リオ・ムニにスペインの県の地位を与えフェルナンド・ポー県とリオ・ムニ県となった。さらに1964年に両県に自治権を与えた。1968年にフェルナンド・ポー県とリオ・ムニ県は統合したまま、赤道ギニアとして独立した。




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