スケートや青くかなしき空の魚
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冬 |
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評 言 |
今年は冬季五輪がカナダ・バンクーバーで開催され熱い闘いが繰り広げられたが、掲句は、屋外のそれも山際や山間に造られたシーズン中だけ賑わいを見せる素朴なリンクと思う。「スケートや」といきなり措かれていて光景がまず眼に飛び込んでくる。いわゆる切れ字の効果による臨場感というものだろう。はればれと「スケートや」と打ち出しているが、そのあとのフレーズとの落差は何なのだろう。一句の印象を、若々しくしなやかに、あるいは稚拙にスケートに興じる光景のなかに、作者がふと感じた孤独感と解するのは容易に過ぎよう。それら賑わいの生み出す空間には、同時に過ぎ行く時間が横たわる。空の本来である青さを「かなし」と捉え、水中を住処とする筈の魚が空に在ると言い切る理不尽とむなしさ、これらの感情は孤独とは違う、なにか色や形あるものが纏う根本的な「かなしみ」のように思う。その表白としての魚と見るのだが。言いかえれば、知性が感知した心象風景。スケートという一つの現象の奥に観点をおいて、流れゆく時間のなかに自己を見つめた一句であろう。同じ作者に 雪国の青天みどりにてうすめ があるが、この青天の美しさは同時に雪国の背負う切なさを象徴しているように思う。「みどりにてうすめ」に、作者の知的操作が感じられ、その切なさと一体になろうとする優しさが見て取れる。 |
評 者 |
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備 考 |
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