ジョン・ハリソンの報奨金をめぐる論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 02:42 UTC 版)
「経度賞」の記事における「ジョン・ハリソンの報奨金をめぐる論争」の解説
経度法の下で最も報奨金が支払われたのはジョン・ハリソンである。彼はH4シーウォッチなどの海上での計時法の改良に対して報奨金が支払われた。経度法が可決されたとき、ハリソンは21歳だった。彼はそれから45年かけて、自らの計時法の設計を完成させた。 彼は1737年に経度長官から最初の報奨金を受け取ったが、最終的な報奨金の支払いは80歳になるまで行われなかった。 ハリソンは1737年に最初の250ポンドを授与された。彼はこの資金を元に、H1シークロックを改善したH2を設計した。H2とH3の完成により、2,000ポンドが1741年から1755年にかけて提供された。1760年から1765年にかけて、ハリソンは時計の製作、海上での試験、そして彼の海上時計H4の性能に対する最終的な賞に関連する様々な経費として2,865ポンドを受け取った。元の経度法における最高の報奨金に要求される精度を超えるH4のパフォーマンスにもかかわらず、ハリソンは7,500ポンド(1万ポンドから1762年と1764年に受け取った額を差し引いた額)しか報奨金を受けられず、残りの1万ポンドを受け取るためには、作成した装置の製造法を明らかにし、それが複製できることを示さなければならないと言われた。 ハリソンは、H4の複製を要求された2つではなく1つ作成し、彼と家族はそれ以上の報奨金を求める嘆願書に対し経度委員会からの回答がなかったため、国王ジョージ3世に直接訴えた。1773年に国会により8,750ポンドの報奨金が与えられ、報奨金の総額は36年間で23,065ポンドとなった。
※この「ジョン・ハリソンの報奨金をめぐる論争」の解説は、「経度賞」の解説の一部です。
「ジョン・ハリソンの報奨金をめぐる論争」を含む「経度賞」の記事については、「経度賞」の概要を参照ください。
- ジョン・ハリソンの報奨金をめぐる論争のページへのリンク