ジャンヌの悔悛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 23:27 UTC 版)
「ジャンヌ・ダルク処刑裁判」の記事における「ジャンヌの悔悛」の解説
ジャンヌは、5月24日にサン・トゥアン大修道院の墓地に設置された演台に連れて行かれ、法廷が開かれた。宗教裁判では、通常、被告が教皇に助けを求めた時点で審理は中断される。だが、ジャンヌの教皇に助けを求める発言は無視され、悔悛と男性の服装をやめることに同意する誓約書に署名しない限り、直ちに火刑に処すと告げられた。即時執行に直面したジャンヌは、病気による気力の衰えもあり誓約書に署名することに同意した。正式な裁判記録に納められている悔悛誓約書(ラテン語)は、ジャン・マッシュウが読み聞かせたものとは別のものであることが判明している。 ジャンヌは兵士の服を着用していた。服にはチュニック、ホーゼン、腰まで伸ばしたロングブーツが腰の周りに紐で結ばれていた。審理に参加した聖職者は後に、牢にいる数ヶ月の間、牢番の暴行から身を守るために男性の服装をし、この衣服を堅く結びつけていたままにしていたと語った。誓約書に署名後、ジャンヌは今までと同じ牢に戻され、2日後には身を守るために再び男性の服を着用したため、5月28日に異端再犯の審理が行われた。 後に、法廷の書記官の1人のギヨーム・マンションは「ジャンヌは牢番からの何らかの暴力行為を恐れていたので、男性の服を身に着けていなければならないと訴えていた。ジャンヌは法廷関係者に対して、前述の牢番の1人が暴行しようとしていたことを何度か訴えていた」と語った。 この裁判記録では、この問題に関する多くの情報は省略されているが、ジャンヌが何も悪いことをしていないと抗議した引用を含んでいる。
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