ジャングルでの潜伏生活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 15:44 UTC 版)
「中村輝夫 (軍人)」の記事における「ジャングルでの潜伏生活」の解説
終戦後、1946年(昭和21年)5月23日までにモロタイ島から660人の日本兵が復員し、さらに1956年(昭和31年)3月にも内地人3人、台湾出身者6人から成る日本兵のグループが発見されたが、中村は依然としてジャングルで潜伏を続けた。 中村は山の間の平地に小屋を作り、発見当時衣服は着用していなかったが、毎朝起床し洗面した後、宮城遙拝と体操をかかさずに続け、三八式歩兵銃の手入れも怠らないなど、ジャングル内でも規則正しい生活を続けていた。 暦は月の満ち欠けから計算し、火は三八式実包の中から火薬を取り出したり、虫眼鏡を使用しておこした。食糧は自作の網や籠で仕掛けを作って川で魚を採ったり、狩猟罠でイノシシを捕まえた他、小さな畑を作って芋類も栽培していた。この他に中村にはドヤダイドというモロタイ島民の協力者がいて、ドヤダイドは年に数回中村と接触し、砂糖や塩、海の魚などを中村に分けていた。 ドヤダイドは中村と歳が近かったために上陸直後から中村とは親しくしており、接触する度に戦争が終わったことを告げて説得していた。しかし、中村はドヤダイドの説得に応じず、自分の居場所を秘密にするように告げていた。
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