シンガポール市内警備地区割当
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:38 UTC 版)
「昭南憲兵隊」の記事における「シンガポール市内警備地区割当」の解説
1942年2月15日、英軍が降伏すると、同日夜に第2野戦憲兵隊・大石隊長は各分隊長を集合させ、シンガポール市内の警備地区を割当て、市内の占領、英軍兵士の武装解除、治安維持等の命令を下達した(第25軍憲兵隊)。警備地区の割当は下記のとおり。 左翼隊(横田隊):シンガポール川以東の警備地区を水野隊、合志隊、大西隊に3分 右翼隊(城隊):同川以西の警備地区を上園隊、久松隊に2分 憲兵隊本部はフォートカニング(英語版)の英軍要塞司令部跡に設置された。 軍人軍属の非行防止のため、市内には憲兵以外の軍人軍属を入れないのが軍司令部の方針となっており、憲兵各隊は市街入口その他要所に憲兵哨を配置し、軍人軍属の入市を阻止していたが、兵力不足のため完璧には実施されなかった。 市内では現住民による略奪はおおむね防止できたが、郊外の英人居住区では物資の掠奪が起きた。入市後数日は降伏兵の集結・移動、失火による火災などもあり治安は不良だったが、その後補助憲兵の増配属を受け、2,3日後には治安は完全に回復した。
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