シロンスクの統治者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/07 02:43 UTC 版)
「ヴワディスワフ2世ヴィグナニェツ」の記事における「シロンスクの統治者」の解説
ヴワディスワフは長男であったため、父は彼を進んで国政に参与させた。一部の歴史家はボレスワフ3世が死ぬより前にヴワディスワフにシロンスクを与え、自らの嫡系子孫に世襲の封土を確保することにした。 1125年頃、ヴワディスワフはオーストリア辺境伯レオポルト3世の娘アグネスと結婚した。この縁組によって彼はローマ帝国(中世ドイツ)と深い関係をもつようになった。アグネスはローマ皇帝ハインリヒ4世の孫娘で、ローマ王コンラート3世の異父妹に当たっていたからである。ヴワディスワフのおかげで、シロンスクは1133年から1135年にかけてのボヘミア公国の攻撃を防衛することが出来た。彼はオドラ川を越えて攻め込んできたボヘミア軍を迎え撃ち、シロンスクの主要な地域の破壊を止めさせた。1137年、ニェムチャで開かれたボヘミアの支配者達との会議のさい、議論はあるものの、ヴワディスワフはボヘミア公ソビェスラフ1世の末息子ヴァーツラフ2世の洗礼の代父に選ばれたとされる。
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