ショーペンハウアーによる「なぜ」の分析 世界に対して「なぜ」とは問えない
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詳細は「充足理由律」を参照 19世紀のドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウアー(1788年 - 1860年)は、私達が問いを発する時に使用する「なぜ」について分析した。ショーペンハウアーは学位論文『充足根拠律の四方向に分岐した根について』において、「なぜ」という形で問いが発せられる時、そこで期待されている解答には四種類のものがあると分析した。これを根拠律(充足理由律)には四種のものがある、として表現した。その上で「なぜ」という問いを可能な範囲を超えて問うことは誤りだ、と論じた。 根拠律一般の普遍的な意味は、どんなものもつねにほかのものによってのみ存在するということに帰着せしめられる。だが、そのすべての形態における根拠律は、ア・プリオリなものであり、したがってわれわれの知性に根ざしている。… それゆえ、根拠律は一切の存在する事物の全体、すなわち世界(世界がそこに存在するこの知性も含めて)へ適用されてはならない。なぜなら、ア・プリオリな諸形式によって現れる世界は、まさにそのゆえに単なる現象だからである。したがってこれらの形式の結果においてのみ世界に妥当するもの(根拠律も含む)は、世界そのもの、即ちそこに現れる物自体へ適用されることはない。それゆえ、「世界および世界におけるすべての事物は他のものによって存在する」とは言うことが出来ない。 — アルトゥル・ショーペンハウアー (1864年)『根拠律の四つの根について』 p.207 つまり「どんなものにもそれが存在していることの理由がある」という原理(根拠律)を「世界全体」に対して適用することはできない、という事をショーペンハウアーは言った。
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