シュタイア時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 00:12 UTC 版)
「フェルディナント・ポルシェ」の記事における「シュタイア時代」の解説
ダイムラー・ベンツを辞職すると早速チェコのタトラ、オーストリアのシュタイア(現シュタイア・ダイムラー・プフ)から声がかかった。1929年1月シュタイアの主任設計者となり、その後わずか10週間で2,000cc6気筒エンジンを積んだ車両「30」の設計を完了した。この車は1935年頃まで多少の改良を続けながら生産され、シュタイアの大黒柱となった。次いで8気筒5,300cc100hpのエンジンとオーバードライブ、ブレーキサーボなどの新鋭機構を搭載した大型車「シュタイア・オーストリア」を設計、自ら運転して1929年のモンディアル・ド・ロトモビルに参加し、非常な人気を得た。 しかしシュタイアの業績は傾きつつあり、ついに銀行管理を経てアウストロ・ダイムラーに吸収されることになった。かつて意見衝突から退職に至った経営者の元で働く気にはなれず、シュタイアも辞職することとなった。
※この「シュタイア時代」の解説は、「フェルディナント・ポルシェ」の解説の一部です。
「シュタイア時代」を含む「フェルディナント・ポルシェ」の記事については、「フェルディナント・ポルシェ」の概要を参照ください。
- シュタイア時代のページへのリンク