シビル‐ハン国とは? わかりやすく解説

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シビル‐ハンこく【シビルハン国】


シビル・ハン国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/04 02:04 UTC 版)

シビル・ハン国
Себер ханлыгы
1490年代 - 1598年
(国旗)

シビル・ハン国の位置
公用語 シベリア・タタール語
ハンティ語
マンシ語
ネネツ語
セルクプ語
首都 チンギ・トゥラ英語版
(1493年まで) 
カシリク(1493年以降)
ハーン
1490 - - タイブカ英語版
1563 - 1598 クチュム・ハン英語版
変遷
建国 1490年代
ロシアによる併合 1598年

シビル・ハン国(シビル・ハンこく)は、15世紀から16世紀末まで西シベリアに存在した、ジョチ・ウルスの系統に属すテュルク系国家。ジョチ・ウルスが分裂して、成立した4つの国のうちの一つ(ほかにカザン・ハン国アストラハン・ハン国クリミア・ハン国)。

呼称

シビル・ハン国の名は、チンギス・カンの長男ジョチの第5子シバン(昔班, Shiban/Shayban)の一族シャイバーニー家に由来する。「シベリア」の地域名は、シビル・ハン国の名に由来する。チュメニトボリスクなど、今日の西シベリアの多くの都市が、シビル・ハン国の時代に西シベリア平原に建設された。

歴史

1440年代ジョチ・ウルスが分裂して、トゥラ川河口のチンギ・トゥラ英語版(テュメン、現在のチュメニ付近)を根拠地としたケレイト部族のタイブカ英語版が同地に政権を樹立したことにはじまる。

ジョチの五男・シバンの末裔(シャイバーニー家)であるマフムーダク・ハンの息子でテュメン・ハン家の祖、イバク・ハン英語版1468年 - 1495年)がタイブカ家と婚姻関係を結び、ハーンを継いだ。西シベリアにイスラームを持ち込んだといわれている。イルティシ川沿いのカシリク(Kashlik、イスケル Isker、またはシビル Sibir。今日のトボリスクの付近)を首都とし、オビ川イルティシ川とその支流の流域を支配し、黒テンなどの毛皮の取引を営んだ。

滅亡

16世紀後半には東方への拡大を目指すロシア・ツァーリ国と衝突した。1582年、ツァーリ国の援助を受けたイェルマークに率いられたコサック軍が首都を一時的に占領した(チュヴァシ岬の戦い英語版)。その後も最後の君主クチュム・ハン英語版が抵抗を続け、1585年8月5日または6日、奇襲攻撃により、コサック軍を壊滅させ、イェルマークを戦死させた。しかし、ロシアの攻撃は続き、1598年に国は滅亡した。

クチュムはコサックにより追放されて1600年以降に死亡し、彼の子孫はその後ロシア正教へ改宗・ロシア化してクチュモヴィチロシア語版、のちに「シビルスキー」の姓を与えられ、貴族となった。

関連項目

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