シナとカタイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/23 06:23 UTC 版)
「マルティノ・マルティニ」の記事における「シナとカタイ」の解説
ポルトガル人が16世紀はじめに珠江の河口を訪れて以来知られている中国と、マルコ・ポーロなどに見られるカタイが同一であるかどうかは長年問題になっていた。カタイをチベットのこととする説も長く存在していた。 マルティニはローマへ向かう途中、ライデン大学のアラビア語研究者であったホリウス(英語版)と会った。ホリウスはそれによってペルシア語の書物に出てくるカタイの十二支と二十四節気の名前が中国語であることを知り、これでカタイが中国であることが証明されたと考えた。ホリウスはマルティニの『中国新地図帳』の附録としてこの証明を載せた。
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