シド・ヴィシャスとの関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 02:34 UTC 版)
「ナンシー・スパンゲン」の記事における「シド・ヴィシャスとの関係」の解説
17歳で家を出てニューヨークに移り住む。タイムズスクエアの近くでストリッパー、さらに売春宿で働く。当時はエアロスミス、ニューヨーク・ドールズ、ラモーンズなどのファンであった。1977年にロンドンに移住し、セックス・ピストルズに出会う。リードシンガーのジョニー・ロットンは彼女を嫌い、遠ざけようとしたが、彼女はシド・ヴィシャスについて回り、やがて一緒に生活するようになった。 関係があった約2年間にナンシーとヴィシャスはヘロインをはじめ、多くのドラッグを使用して依存症になった。ヴィシャスはナンシーに出会う前からドラッグについては極めて悪質で、ある情報筋によれば、彼は幼少時から彼の母親と一緒にスピードを使用していたという。 タブロイド紙は、ナンシーのたび重なる暴言と暴力に辟易し「吐き気を催す」と評した。 1978年にピストルズが解散したのち、ナンシーとヴィシャスはニューヨークのチェルシーホテルに引っ越した。2人は「ジョン・サイモン・リッチー(ヴィシャスの本名)夫妻」名義で100号室に住んだ。ヴィシャスは音楽を続けようとしていた。
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