シェッフェルテラス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/11 16:40 UTC 版)
「ハイデルベルク城」の記事における「シェッフェルテラス」の解説
城館施設の向かい側にある広いシェッフェルテラス (Scheffelterrasse) の上に館を建てる計画があったが、これは実現しなかった。テラスの基台は高さ20mのアーチ状の構造をしており目をひく。この施設により、この庭園はフリーセンベルクまで拡張できたのである。 シェッフェルテラスの名前は、1891年から1942年までここに建てられていた詩人ヨーゼフ・ヴィクトール・フォン・シェッフェルの銅像にちなんで付けられた。この像は1942年に鋳つぶされた。1976年6月26日に新しいシェッフェル記念碑の除幕式が行われた。この記念碑は以前のものに比べると慎ましいもので、石材にメダル状にシェッフェルの肖像が嵌め込まれている。これはカールスルーエにあるシェッフェルの墓から型どりされたものである。 シェッフェルはハイデルベルクを詠った多くの詩を遺している。なかでも「Alt-Heidelberg, du feine」(古きハイデルベルクよ、おまえは素晴らしい)は、アントン・ツィマーマンによって作曲され、ポピュラーな学生歌となった。シェッフェルは、ヘイデルベルクではとても有名で、様々な場所に肖像がある。1942年以後、そうしたなかシェッフェルテラスだけにはシェッフェル記念碑がないという状況にあった。そこである学生たちがシェッフェルの像を創り、シェッフェルテラスに設置しようと決心した。次の朝、彼らは地面に肖像を描いた。一人が城の管理人を呼び、悪戯っぽく尋ねた。 これが有名なハイデルベルク城の小人ペルケオかな? 城の役人はこう答えた。 いや、そうじゃない。でも、まあ、この人も大酒飲みには違いないな。 シェッフェルテラスの反対側でバルコニーは右に折れ、方形堡がある。サロモン・ド・コウはここにオープン・ホールを持つ塔状の建物を建てるつもりであった。ここからは、城、ハイデルベルク市街、ネッカー渓谷を見渡す感銘深い眺望が得られるからである。だが、1619年の基礎工事の段階で工事は中止された。
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