サーマート・パヤクァルンとは? わかりやすく解説

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サーマート・パヤクァルン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 15:38 UTC 版)

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サーマート・パヤクァルン
2000年
基本情報
本名 Samart Tiptarmai
通称 Payaknayok
階級 スーパーバンタム級
国籍 タイ
誕生日 (1962-12-05) 1962年12月5日(59歳)
出身地 バーンパコン郡
スタイル サウスポー
プロボクシング戦績
総試合数 23
勝ち 21
KO勝ち 12
敗け 2
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サーマート・パヤクァルン(Samart Payakaroon1962年12月5日 - )は、タイの元ムエタイ選手、元プロボクサー。元WBC世界スーパーバンタム級王者。ムエタイ、ボクシング合わせて5冠王。現役引退後はタイでムエタイのインストラクターをしている[1]

サーマートとはタイ語天賦の才という意味であり、Payakはという意味である。「ムエタイの芸術」とも評された。

来歴

兄の影響で、11歳でムエタイを始めた。

ルンピニー・スタジアムで、1980年ミニマム級(105lb)、ライトフライ級(108lb)、1981年スーパーフライ級(115lb)、フェザー級(126lb)と4階級の王者となった。

1982年8月24日、プロボクシングデビュー。

1986年1月18日、WBC世界スーパーバンタム級王者ルペ・ピントール(メキシコ)に挑戦し、5回KO勝ちで王座を獲得した。

1986年12月10日、元同級王者ファン・メサ(アメリカ合衆国)と対戦し、12回TKO勝ちで初防衛に成功した。

1987年5月8日、当時のIBF世界バンタム級王者であったジェフ・フェネックオーストラリア)と対戦し、4回KO負けで王座から陥落した。

1988年2月27日にボクシングの試合を最後にリングを離れた。

1993年4月、日本で新妻聡(日本)とキックボクシングルールで対戦し、2度のダウンを奪って判定勝ち。

1993年8月8日5年5か月ぶりにボクシングに復帰。

1994年9月11日、WBA世界フェザー級王者エロイ・ロハスベネズエラ)に挑戦し、8回TKO負けで2階級制覇ならず。

獲得タイトル

ムエタイ
プロボクシング

関連項目

脚注

  1. ^ Pungluang Sor Singyu: "I want to fight Koki Kameda"”. Max.Boxing. 2014年2月28日閲覧。

外部リンク

前王者
ルペ・ピントール
WBC世界スーパーバンタム級王者

1986年1月18日 - 1987年5月8日(防衛1度)

次王者
ジェフ・フェネック




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