サン=ルー地区
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 10:05 UTC 版)
アミアン大聖堂のお膝元、運河が巡らされた一帯は、1990年代に修復された美しい地区である。さらに北の丘の麓までソンム運河が伸び、そこには17世紀の軍事技師ジャン・エラールがシタデルと呼んだサン=ピエール要塞が建設されていた。歴史的には、皮なめし職人、肉屋、染色職人といったアミアンの下層階級が暮らしていた。 1960年代以降、ピカルディー大学の理学部が機会あるごとに拡張された。法学部と経済学部も、市南部にあるキャンパスから新たな場所へ移ってきた。第二次世界大戦以降、骨折した状態であった光景から打って変わって平面駐車場ができている。しかしそれは大聖堂の眺めを妨げていない。大部分の建物は学生用住宅に修繕されている。 この地区はアミアン市民が夜の交際を楽しむ場所で、レストランやバー、ベル埠頭がある。理学部と法経済学部の間には、サン=ルー教会がある。また2箇所の劇場がある。
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