ゴーストダンス教と1890年のウンデッド・ニーの虐殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 19:20 UTC 版)
「ネイティブ・アメリカン」の記事における「ゴーストダンス教と1890年のウンデッド・ニーの虐殺」の解説
詳細は「ウンデット・ニーの虐殺」を参照 1868年にスー族と米国政府はララミー条約によって、サウスダコタ州にあるスー族の聖地ブラックヒルズは永久にスー族のものであると確約したが、ジョージ・アームストロング・カスターがブラックヒルズに金鉱を見つけると、開拓者が金を求めてブラック・ヒルズに侵入し、条約は破られた。 絶望的な状況に置かれた西部のインディアンの部族には、ゴーストダンスを踊ることで平和なインディアンの国が還ってくるという終末的信仰ゴーストダンスが大流行した。信じるものは銃弾も効かないとされるこの宗教を恐れた白人は、ゴーストダンスを禁じ、スー族のゴーストダンス指導者キッキング・ベア(英語版)を含むビッグ・フット酋長(英語版)の一団をサウスダコタ州のウンデット・ニーに連行した。白人の話では一人が銃で抵抗したということになっているが、インディアンの話では、一人がナイフを持って手放さなかっただけで200人以上が虐殺された(ウンデット・ニーの虐殺)。ここに連邦政府とインディアンの戦いは終わる。1890年12月29日のことである。 アメリカ人の歴史では1890年はフロンティアが消滅し、西部が勝ち取られた輝かしい年とされているが、インディアンにしてみれば1890年は、アメリカインディアンがひとまず征服された年なのである。
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