ゴゾ島上陸と占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/15 14:26 UTC 版)
「フランスのマルタ占領」の記事における「ゴゾ島上陸と占領」の解説
マルタ島の北西に位置するゴゾ島に上陸したのは、ジャン・レニエ率いる第3擲弾中隊と第95半旅団だった。Jean Urbain Fugièreもレニエに従っている。一方ゴゾ島を守る守備兵は2300人、うち300人が騎士団の正規兵(30人は騎士)、1200人が沿岸守備連隊、800人が民兵だった。 13時ごろ、ナドゥールにほど近く、ラムラ軽砲台とソプ塔の間に位置するRedum Kebir (マルタ語: Rdum il-Kbir)にフランス軍が上陸した。守備隊は発砲して応戦し、ラムラやソプの砲台も援護射撃した。対するフランス軍も砲台を砲撃し、激しい銃火にさらされながら高所を占拠することに成功した。ラムラの砲台は占領され、残りのフランス軍も上陸することができるようになった。フランス軍内では上陸時にベルトラン上級曹長らが戦死した。 レニエと第95半旅団の一部は、ゴゾ島の主海岸Mġarrにある島の司令部シャンブレー砦に向かい、マルタ島との連絡を絶とうとした。砦には周辺の村々から難民が押し寄せており、14時ごろにフランス軍に降伏した。半旅団の残りはシャーラを経由して、島の首都ラバットのチッタデッラ城に向かった。分遣隊がMarsalforn Towerを占領し、チッタデッラも日暮れごろに降伏した。フランス軍は大砲116門(うち44門がチッタデッラ、22門がシャンブレー、残りは他の沿岸諸要塞のもの)、多数のマスケット銃、それに小麦の倉庫3棟を獲得した。
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