ゴゾ島占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 18:20 UTC 版)
「マルタ包囲戦 (1798年–1800年)」の記事における「ゴゾ島占領」の解説
10月24日、ナポリで10日間を過ごしていたネルソン率いる戦列艦ヴァンガード、マイノーターがマルタ封鎖に参加した。10月28日、ボールがマルタ島北西のゴゾ島にいたフランス守備隊との交渉に成功し、217人のフランス兵が戦闘を経ず降伏した。ゴゾ島と要塞、大砲24門、莫大な弾薬、小麦粉3,200袋がイギリス軍の手に渡った。公式にはナポリ王国がゴゾ島の領有を宣言したものの、実際にはイギリスとマルタ人住民の代表が統治をおこなった。彼らの最初の政策は、フランス軍から獲得した食料を1万6000人の島民に分配することだった。マルタや周辺の諸島は自給自足できる環境ではなく、また多くの軍員がいる状態になったため、マルタの食料情勢はひっ迫していた。さらにナポリ王国が領有を宣言しておきながら補給物資の輸送を拒否したため、ボールらイギリス将校らがイタリアから食料を供給する責任を負うことになった。年末までに、マルタ人の兵数は当初の1万人から1500人まで減り、これを封鎖艦隊から駆け付けた500人のイギリス・ポルトガル海兵隊が支援する態勢になっていた。この時点で封鎖艦隊はイギリス艦5隻とポルトガル艦4隻からなっており、司令部はマルタ島内のセント・ポールズ・ベイとマルサ・シロッコ(現マルサシロク)に置かれた。
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