コソボ解放軍での働き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 19:47 UTC 版)
「ハシム・サチ」の記事における「コソボ解放軍での働き」の解説
1993年、サチはコソボ解放軍の中核の一人となっていた。サチはジャルペリ(Gjarpëri、『蛇』)という偽名を得た。サチは組織の資金・訓練・兵員募集の責任者となり、コソボでの戦闘へと送り出されるコソボ解放軍の兵士を、アルバニア領内で訓練していた。1997年、サチはセルビア当局によって本人不在のままプリシュティナで裁判にかけられ、コソボ解放軍に関連したテロリズム活動の罪で有罪判決を受けた。。1999年3月、サチはランブイエで行われた和平交渉にコソボのアルバニア人の代表として出席した。交渉に加わった西側諸国の外交官たちは、サチがコソボ解放軍における中心的人物であると理解した。他の反乱組織の指導者たちはコソボの完全な国際的独立以外の選択肢を拒絶するなか、サチは交渉の中で、コソボのセルビアの枠内での自治を受け入れる意思を表明した。コソボ解放軍の中の雑多な派閥の中で、最大派閥の指導者として最終交渉に臨んだ。このときサチは速やかに権力を強化し、自らをコソボの首相であると一方的に宣言し、他の派閥の指導者たちの暗殺を指示したといわれている。
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