ゲイリー・ムーアとセッション・ワーク
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「ボブ・デイズリー」の記事における「ゲイリー・ムーアとセッション・ワーク」の解説
またオジー・オズボーンとの契約期間以外にはゲイリー・ムーアとの仕事に入る。アルバム『ヴィクティムズ・オブ・ザ・フューチャー』(1984年)のレコーディングに参加した後、その年の冬に行われたヨーロッパ・ツアーよりムーアのバック・アップ・バンドに加入し、12月のムーアとフィル・ライノットとのドキュメント・フィルム『エメラルド・アイルス』に出演している。その後『ラン・フォー・カヴァー』(1985年)、『ワイルド・フロンティア』(1987年)のレコーディングとこれに伴うツアーに参加する。他にアルバム『アフター・ザ・ウォー』(1989年)に参加、ツアー後半にはゲイリー・ムーアのキャリアの成功作ともなるブルース作品『スティル・ゴット・ザ・ブルーズ』(1990年)への礎を築き、次作『アフター・アワーズ』(1992年)にもアルバム録音に参加する。ゲイリー・ムーアとの信頼関係は続いており、アルバム『パワー・オブ・ザ・ブルーズ』(2004年)にも曲作り、ベーシストとして参加をしている。 80年代末からは様々なレコーディングに参加してブラック・サバスのアルバム『エターナル・アイドル』(1987年)でもベースを演奏している。ギタリストイングヴェイ・マルムスティーンのレコーディングの他、ジェフ・スコット・ソートのタカラに参加、また元ナイト・レンジャーのジェフ・ワトソンのアルバム『ローン・レンジャー』の制作に関わり、これを切っ掛けにワトソン、カーマイン・アピス、ジョー・リン・ターナーらとのマザーズ・アーミーが結成された。このバンドはアルバム『マザーズ・アーミー』(1993年)を発表後マネージメントのトラブルに巻き込まれ解散している。
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