ケーニヒスベルク時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/19 04:19 UTC 版)
「ハインリヒ・フォン・クライスト」の記事における「ケーニヒスベルク時代」の解説
1804年中ごろにシュタインの率いる財務省でしばらく働いた後、1805年5月1日からハルデンベルクの推薦を受けてケーニヒスベルクで非常勤職員になり、国家経済理論家のクリスティアン・ヤーコプ・クラウゼから財政について教えを受けた。ケーニヒスベルクでクライストは哲学教授ヴィルヘルム・トラウゴット・コッホと結婚した姉ヴィルヘルミーネに再会している。クライストはこのころ喜劇『こわれ甕』を完成させ『アンフィトーリュオン』の製作にかかり、また悲劇『ペンテジレーア』、『ミヒャエル・コールハース』、『チリの地震』(原題『イェローニモとヨゼーフェ』)などを執筆している。 1806年8月クライストは友人リリーエンスターンに国務から離れて劇作に専念する考えを打ち明けた。しかし官を辞してベルリンに向かう途上の1807年1月、彼と同行者はフランスの占領軍当局によってスパイ行為のかどで捕らえられ、ブザンソン近郊のジュー砦に収監された。その後シャンパーニュの戦時捕虜収容所へ移されたが、ここで『O公爵夫人』『ペンテジレーア』を書き進めたと考えられている。
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