グレゴリウス改革と教権の絶頂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 04:57 UTC 版)
「中世ヨーロッパにおける教会と国家」の記事における「グレゴリウス改革と教権の絶頂」の解説
「教会改革」、「グレゴリウス改革」、および「叙任権闘争」を参照 これまで述べたように、中世ヨーロッパという固有の文明社会の成立には、皇帝権と教皇権という2つの普遍的権力・権威が相補的役割を果たしていた。11世紀に入ると、この皇帝権と教皇権の関係が本質的な対立に向かい、中世ヨーロッパ社会の秩序が根本的な変革に直面することとなった。一般にグレゴリウス改革として把握される一連の教会改革運動である。結果的には教皇権は、皇帝権に対して一定の自立を勝ち得、その完結性を実現することになり、日常生活に関わる秘蹟への関与を強めることにより、民衆の精神支配において圧倒的な影響力を持つようになる。さらにシュタウフェン朝の断絶後に皇帝権が著しく影響力を弱めると、教権は全盛の時代を迎える。 一方で教会改革を通じて高められたキリスト教倫理は、12・13世紀になると、民衆の側から使徒的生活の実践要求という形で教会に跳ね返り、さらには異端運動を生み出す元ともなった。また14世紀に入ると、教皇権は国家単位での充実を果たした俗権の挑戦を受けることになった。
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