クーデター計画関与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:05 UTC 版)
「ルイス・マウントバッテン」の記事における「クーデター計画関与」の解説
元MI5のピーター・ライトは1987年の著書『スパイキャッチャー』(Spycatcher)において、「1968年にデイリー・ミラー紙社主のセシル・キングや30人に及ぶMI5職員らによる、ハロルド・ウィルソン首相率いる労働党内閣を倒す秘密会合が開かれ、マウントバッテンも出席した」と暴露した。「キングはマウントバッテンに救国内閣の指導者となることを求めたが、マウントバッテンの躊躇によりクーデターは未遂に終わった」と述べた。 一方で、アンドリュー・ロウニーは「女王(エリザベス2世)がマウントバッテンを説得して思いとどまらせた」と示唆している。 2006年のBBC(英国放送協会)のドキュメンタリー番組「The Plot Against Harold Wilson」では、「1974から1976年の第2次ウィルソン内閣期にも、マウントバッテンを含んだ別のクーデターの計画があった」と報じた。軍とMI5内の同調者がウィルソンをマウントバッテンに代える計画であった。 MI5の最初の公式の局史である「The Defence of the Realm」(2009年)は実際にウィルソンに対する計画が存在し、そのファイルがMI5に存在していたことを示している。同時に同書は「計画が局公式のものではなく、少数の職員により立案されたものだ」と明言している。
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