クヴィスリングのクーデター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/23 21:41 UTC 版)
「クヴィスリング政権」の記事における「クヴィスリングのクーデター」の解説
1940年4月9日、ナチス・ドイツのノルウェー侵攻に呼応し、ヴィドクン・クヴィスリング率いる国民連合はクーデターを実行した。 午後7時32分、ノルウェー放送協会を占拠したクヴィスリングは、自身を首相とする臨時政府の樹立を宣言し、ドイツ軍に対する一切の抵抗を止めるように呼びかけると同時に、「首相のヨハン・ニューゴースヴォル(英語版)は抵抗を放棄し逃げ出した」と告げた。実際は、ドイツ軍への抵抗を続けるためにエルベルム(英語版)に退避しただけだったが、クヴィスリングはその事実を告げず「政権を放棄した」と主張し、後継政府としてドイツ軍との交渉を開始した。 翌10日、ノルウェー駐在ドイツ大使のクルト・ブロイアー(英語版)はエルベルムに退避したノルウェー国王ホーコン7世に謁見し、オスロに戻りクヴィスリング政権を承認するように要求した。しかし、この時点でクヴィスリングのクーデターの情報がエルベルムにも届いており、ホーコン7世は「オスロに戻れば、クヴィスリングを直ちに解任するだろう」と告げ要求を拒否した。ノルウェー政府もクヴィスリングの首相任命を拒否するようにホーコン7世に助言し、交渉は決裂した。クヴィスリングはニューゴースヴォルを逮捕するように命令したが、エルベルムの司法当局はこの命令を無視した。また、オスロの警察を掌握しようとする試みも、警視総監クリスチャン・ヴェルハーヴェン(英語版)に拒否され失敗した。 クヴィスリングは、ドイツ軍からの援助があったにも関わらず全土の掌握に失敗し、4月15日には行政評議会(英語版)の発足に伴い、首相を解任された。行政評議会はノルウェー最高裁判所(英語版)のメンバーによって構成され、ノルウェーの財界人やブロイアーの支持を受けていた。
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