クレイ・コンピュータ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 02:34 UTC 版)
「シーモア・クレイ」の記事における「クレイ・コンピュータ時代」の解説
クレイは、コロラド・スプリングスの研究所をスピンオフさせてクレイ・コンピュータ (Cray Computer Corporation) を設立し、Cray-3 プロジェクトを続行することにした。 500MHzの Cray-3 は、クレイの2番目の大きな間違いを証明した。彼は、最も新しいマシンで10倍の性能を可能とするために、ガリウムヒ素半導体を使って製作することを決めた。以前ならクレイは先端技術を採用するのを避け、よく知られた解決策を採用して高速なマシンを設計していた。しかし今回、クレイはチップの中身まで含めマシン全体を開発しようとしていた。 それにもかかわらずチームはマシンを稼動させ、NCARで最初のマシンをインストールした。マシンはまだ本質的にプロトタイプであり、会社はそれを設計のデバッグに使っていた。このころ、多くの超並列マシンが Cray-3 が敵わない価格性能比で市場に参入してきた。クレイはそれらを「力づく」と呼び、1GHzで動作する Cray-4 の設計を開始して価格を問わず性能面で打ち負かそうとした。 1995年、Cray-3 は全く売れず、冷戦の終結の影響で、開発資金を返せるほど Cray-4 が売れることは望めなくなった。会社は資金を使い果たし破産を申請しなければならなかった。
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