クラウス・K・ヒュープラーとは? わかりやすく解説

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クラウス・K・ヒュプラー

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/20 01:50 UTC 版)

クラウス・K・ヒュプラー
Klaus Karl Hübler
生誕 1956年7月12日
ドイツミュンヘン
死没 (2018-03-04) 2018年3月4日(61歳没)
ドイツミュンヘン
ジャンル 現代音楽
職業 作曲家
公式サイト http://www.klaushuebler.de/#

クラウス・カール・ヒュプラーKlaus Karl Hübler, 1956年7月12日 - 2018年3月4日)は、ドイツ現代音楽作曲家音楽学者

略歴

ミュンヘン出身。ペーター・キースヴェターとブライアン・ファーニホウに作曲を学ぶかたわら、ミュンヘン大学音楽学を平行して学んだ。1975年のデビュー以降、次第に新しい複雑性に共鳴し、1982年ダルムシュタットクラーニヒシュタイン音楽賞を、1977年1990年にはシュトゥットガルト市の作曲賞を2度受賞する[1]など、数々の賞を受賞している。また国際的な評価の高まりと共に、ガウデアムス国際音楽週間ダルムシュタット夏季現代音楽講習会などの音楽祭に度々招聘されるようになった。しかし、活発な創作活動を行うと思われた矢先、1989年に重病に倒れ[2]、約6年もの間活動を中断することを余儀なくされたが1995年にはカムバックした[3]2018年3月4日ミュンヘンにて死去。

現在はブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から19作[4]リコルディ[5]から42作を合わせた計61作品の出版が行われている。

作風

アルディッティ弦楽四重奏団によって初演された《弦楽四重奏第3番 - Dialektische Phantasie》ではヴァイオリンに対して13声部を与えるなど非常に複雑な書法が採られ、奏者に極限的な要求をするが、物静かで内省的な印象を与える作品が多い。

カムバック後は小さな文字が書けなくなり、大きく手書きで作曲するスタイルに変わったものの、小編成を中心にくりこみ、あるいはうめこみメトリックを亡くなるまで慎重に[6]使い続け新しい複雑性の同人でありつづけた。

現在のブライトコップフのカタログにはない作品

  • CERCAR (1983)
  • Chanson sans paroles (1978)
  • Excerpt (1981)
  • Finale und kurzes Glück (1989)
  • Grave e sfrenato (1985)
  • Lamento, Scherzo ed Arioso (1978)
  • MVSICA MENSVRABILIS (1975/76)[7]
  • Opus breve (1987)
  • Reißwerck (1987)[8]
  • sklEros (1985/86)
  • Sonetto LXXXIII del Michelangelo (1986)[9]

ディスコグラフィー

  • 5 Stücke für Maria [CD] - Telos
  • Deutscher Musikrat: Edition Zeitgenössische Musik - Klaus K. Hübler [CD] - Wergo
  • Streichquartett / Musica Mensurabilis / Streichtrio [Vinyl LP] - Col Legno

脚注

  1. ^ Ricordi trauert um Klaus K. Hübler” (英語). www.ricordi.com. 2019年8月17日閲覧。
  2. ^ 歩行と言語能力に重い障害が残るほどだった。
  3. ^ Abschied von Klaus Karl Hübler 12.7.1956 - 4.3.2018 MGNM - Münchner Gesellschaft für Neue Musik e.V.”. www.mgnm.de. 2019年8月17日閲覧。
  4. ^ Klaus K. Hübler (1956–2018)”. www.breitkopf.com. Breitkopf & Härtel. 2020年6月22日閲覧。
  5. ^ Klaus K. Hübler (1956–2018)”. www.ricordi.com. Ricordi. 2020年5月16日閲覧。
  6. ^ TME 777 - Klaus K. Hübler - B. B. H.”. issuu.com. Ricordi. 2020年5月16日閲覧。
  7. ^ String Quartet No. 2, sur le premier prélude”. www.earsense.org. Earsense. 2020年5月16日閲覧。
  8. ^ Pro Musica Nova: Studies for Playing Contemporary Music for Guitar ASIN: B001F2QQ5K (1992) 収録
  9. ^ ブライトコップフ2005年現代音楽作曲家カタログ pp.42-43

外部リンク


クラウス・K・ヒュープラー

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ポスト・ファーニホウ」の記事における「クラウス・K・ヒュープラー」の解説

ポスト・ファーニホウで一番成功していたのは、1980年代当時ミュンヘン出身のクラウス・K・ヒュープラーと言われファーニホウ直弟子である。パラメータ分離対す興味人一倍強く弦楽四重奏曲第3番弁証法的幻想』(1982年 - 1984年)にて演奏する譜面極度に合理的に、完全に独立したパラメータ分けて書く方法考案した。しかしこのアイディアわかりやすい反面、ヴァイオリン・ソロ曲でも音高強弱音の長さ音色などと最低4段譜面同時に読むこともあるため、演奏家にとって読譜極端に難しいとされている。 本人1990年代入ってから重い病気侵され作曲活動困難になり新作発表がほとんどできなくなったが、1995年頃に完治した後はカムバックし、トレメディア音楽出版社から作品出版し続けている。演奏困難さは相変わらずで、指揮者シルヴァン・カンブルランは「ヴァニタス」(2002年)を振ることが出来ずハインツ・ホリガー交代した。トレメディア音楽出版社がリコルディ・ミュンヘンに吸収合併された後も、彼は作曲活動続けている。

※この「クラウス・K・ヒュープラー」の解説は、「ポスト・ファーニホウ」の解説の一部です。
「クラウス・K・ヒュープラー」を含む「ポスト・ファーニホウ」の記事については、「ポスト・ファーニホウ」の概要を参照ください。

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