クラウス・K・ヒュプラー
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クラウス・K・ヒュプラー Klaus Karl Hübler |
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生誕 | 1956年7月12日![]() |
死没 | 2018年3月4日(61歳没)![]() |
ジャンル | 現代音楽 |
職業 | 作曲家 |
公式サイト | http://www.klaushuebler.de/# |
クラウス・カール・ヒュプラー(Klaus Karl Hübler, 1956年7月12日 - 2018年3月4日)は、ドイツの現代音楽の作曲家、音楽学者。
略歴
ミュンヘン出身。ペーター・キースヴェターとブライアン・ファーニホウに作曲を学ぶかたわら、ミュンヘン大学で音楽学を平行して学んだ。1975年のデビュー以降、次第に新しい複雑性に共鳴し、1982年にダルムシュタットでクラーニヒシュタイン音楽賞を、1977年と1990年にはシュトゥットガルト市の作曲賞を2度受賞する[1]など、数々の賞を受賞している。また国際的な評価の高まりと共に、ガウデアムス国際音楽週間やダルムシュタット夏季現代音楽講習会などの音楽祭に度々招聘されるようになった。しかし、活発な創作活動を行うと思われた矢先、1989年に重病に倒れ[2]、約6年もの間活動を中断することを余儀なくされたが1995年にはカムバックした[3]。2018年3月4日、ミュンヘンにて死去。
現在はブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から19作[4]とリコルディ社[5]から42作を合わせた計61作品の出版が行われている。
作風
アルディッティ弦楽四重奏団によって初演された《弦楽四重奏第3番 - Dialektische Phantasie》ではヴァイオリンに対して13声部を与えるなど非常に複雑な書法が採られ、奏者に極限的な要求をするが、物静かで内省的な印象を与える作品が多い。
カムバック後は小さな文字が書けなくなり、大きく手書きで作曲するスタイルに変わったものの、小編成を中心にくりこみ、あるいはうめこみメトリックを亡くなるまで慎重に[6]使い続け新しい複雑性の同人でありつづけた。
現在のブライトコップフのカタログにはない作品
- CERCAR (1983)
- Chanson sans paroles (1978)
- Excerpt (1981)
- Finale und kurzes Glück (1989)
- Grave e sfrenato (1985)
- Lamento, Scherzo ed Arioso (1978)
- MVSICA MENSVRABILIS (1975/76)[7]
- Opus breve (1987)
- Reißwerck (1987)[8]
- sklEros (1985/86)
- Sonetto LXXXIII del Michelangelo (1986)[9]
ディスコグラフィー
- 5 Stücke für Maria [CD] - Telos
- Deutscher Musikrat: Edition Zeitgenössische Musik - Klaus K. Hübler [CD] - Wergo
- Streichquartett / Musica Mensurabilis / Streichtrio [Vinyl LP] - Col Legno
脚注
- ^ “Ricordi trauert um Klaus K. Hübler” (英語). www.ricordi.com. 2019年8月17日閲覧。
- ^ 歩行と言語能力に重い障害が残るほどだった。
- ^ “Abschied von Klaus Karl Hübler 12.7.1956 - 4.3.2018 MGNM - Münchner Gesellschaft für Neue Musik e.V.”. www.mgnm.de. 2019年8月17日閲覧。
- ^ “Klaus K. Hübler (1956–2018)”. www.breitkopf.com. Breitkopf & Härtel. 2020年6月22日閲覧。
- ^ “Klaus K. Hübler (1956–2018)”. www.ricordi.com. Ricordi. 2020年5月16日閲覧。
- ^ “TME 777 - Klaus K. Hübler - B. B. H.”. issuu.com. Ricordi. 2020年5月16日閲覧。
- ^ “String Quartet No. 2, sur le premier prélude”. www.earsense.org. Earsense. 2020年5月16日閲覧。
- ^ Pro Musica Nova: Studies for Playing Contemporary Music for Guitar ASIN: B001F2QQ5K (1992) 収録
- ^ ブライトコップフ2005年現代音楽作曲家カタログ pp.42-43
外部リンク
- 公式サイト (ドイツ語)
- トレメディア音楽出版社の作曲者紹介 (ドイツ語)
クラウス・K・ヒュープラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 07:15 UTC 版)
「ポスト・ファーニホウ」の記事における「クラウス・K・ヒュープラー」の解説
ポスト・ファーニホウで一番成功していたのは、1980年代当時、ミュンヘン出身のクラウス・K・ヒュープラーと言われ、ファーニホウの直弟子である。パラメータの分離に対する興味が人一倍強く、弦楽四重奏曲第3番『弁証法的幻想』(1982年 - 1984年)にて演奏する譜面を極度に合理的に、完全に独立したパラメータに分けて書く方法を考案した。しかしこのアイディアはわかりやすい反面、ヴァイオリン・ソロ曲でも音高・強弱・音の長さ・音色などと最低4段の譜面を同時に読むこともあるため、演奏家にとって読譜が極端に難しいとされている。 本人は1990年代に入ってから重い病気に侵され、作曲活動が困難になり新作の発表がほとんどできなくなったが、1995年頃に完治した後はカムバックし、トレメディア音楽出版社から作品を出版し続けている。演奏の困難さは相変わらずで、指揮者のシルヴァン・カンブルランは「ヴァニタス」(2002年)を振ることが出来ず、ハインツ・ホリガーに交代した。トレメディア音楽出版社がリコルディ・ミュンヘンに吸収合併された後も、彼は作曲活動を続けている。
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