クボ・エダン寺院とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > クボ・エダン寺院の意味・解説 

クボエダン‐じいん〔‐ジヰン〕【クボエダン寺院】

読み方:くぼえだんじいん

Pura Kebo Edanインドネシア南部バリ島中南部ウブド東郊ペジェンにあるヒンズー教寺院12世紀頃、ジャワ人によって創建されたとされる四つ男根をもつ高さ3.6メートル巨人像があることで知られる


クボ・エダン寺院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/24 22:41 UTC 版)

クボ・エダン寺院
Pura Kebo Edan
クボ・エダン寺院のシワ=バイラワ像
基本情報
所在地 ペジェン英語版、Jl. Raya Pejen[1]
座標 南緯8度31分04.2秒 東経115度17分33.2秒 / 南緯8.517833度 東経115.292556度 / -8.517833; 115.292556座標: 南緯8度31分04.2秒 東経115度17分33.2秒 / 南緯8.517833度 東経115.292556度 / -8.517833; 115.292556
宗教 ヒンドゥー教
地区 ギャニャール県タンパクシリン郡インドネシア語版
バリ州
インドネシア
完成 13世紀(1284年頃)創建
テンプレートを表示

クボ・エダン寺院(クボ・エダンじいん、Pura Kebo Edan)は、インドネシアバリ州バリ島ギャニャール県タンパクシリン郡インドネシア語版ペジェンインドネシア語版にある[2]バリ・ヒンドゥー教寺院(プラ英語版: pura[3])である。

創建は13世紀[4]ジャワの古代王朝シンガサリ(1222-1292年[5])の王クルタナガラ(在位1268-1292年)がバリを征服した[6]1284年頃とされ、バリに派遣された Kebo Parud が、シヴァ(シワ、: Siwa)やバイラヴァ(バイラワ、: Bhairawa)の崇拝をもたらし[4]、クボ・エダン寺院には、習合されたシワ=バイラワ(: Siwa-Bhairawa)が保存される[4]。ペジェンの村は国内でも有数の考古学的地域であり[7]、このクボ・エダン寺院のバイラヴァ(シワ=バイラワ)像も、2019年11月13日、インドネシアの文化遺産英語版: Cagar Budaya)に登録されている[8][9]

クボ・エダンは「狂った水牛」の意であり、境内にある水牛の像によるとされる[4]。また、地元において、バリの伝説の巨人クボ・イワインドネシア語版(クボ・イオ)にも関連づけられ[2]、クボ・エダン寺院には、クボ・イワといわれる彫像も保存されている[10]

構成

守護彫像の頭部正面

主な祭神の彫像を安置する祠(プリンギー〈プリンゲー[11]〉、Pelinggih)が境内の南側に並び、これらクボ・エダン寺院に保存される遺物の多くは、王クルタナガラの時代のものとされる[12]。しかし、バリ王国英語版の14世紀中頃の王スリ・アストゥスラ・ラトナ・ブミ・バンテンインドネシア語版[13]の時代として、バイラヴァ(シワ=バイラワ)像についても、王アストゥスラをかたどった可能性を付議する見解もある[2]

バイラヴァ像

「ペジェンの巨人」(: Pejeng Giant[14]、Giant of Pejeng)として知られる高さ3.6メートルの巨像は、シヴァ化身バイラヴァ(シワ=バイラワ)像とされるが、地元では、ラトゥ・サクティ (Ratu Sakti) 、ラトゥ・バリアン (Ratu Balian) と称されることもある。また、このヒト死体の上で踊るように描写された彫像は[4]、ヒンドゥー教の叙事詩『マハーバーラタ』の剛勇ビーマBhīma、〈ビマ[15]、ビモ、Bima〉[16])としても捉えられている[17]

この巨像は、顔を仮面で覆い、縮毛を後頭で結び、ひだ飾り(フリル)をつけた腰部に[4]両手を据えて[2]、踊るように死体の上に立ち、腕と足首にはヘビが巻き付く[4]。また、躍動により裾から陰茎が左に向けて露出するが、これは左道と右道に分かれるタントラの宗教派に関連するともいわれる。先端付近には3-4個の円形があり[18]、穴が1つあく[4]

水牛像

バイラヴァ像が安置された側面にある祠(プリンギー)に、シヴァの乗り物(ヴァーハナ)であるナンディを表わす水牛像があり、これが「狂った水牛」というクボ・エダンの寺院名の由来とされることから、臥牛像は怒っているように見えるなどといわれる[4]

クボ・イワ像

逆さの髑髏をかたどる鉢を抱え、頭髪にも髑髏が飾られる石像も同様に安置されており[19]、強く大きいことからクボ(水牛)と呼ばれたという伝説の巨人クボ・イワインドネシア語版とされる[10]

境内にある祠(プリンギー)には、ほかにも現地バリにおいてブタラ・ガナ (Betara Gana)[20]と称されるガネーシャの像があるなど[2][7]、多くの彫像が保存されている。

脚注

  1. ^ クボ・エダン寺院”. BALI navi (2010年2月28日). 2022年9月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e Atmodjo (1983), p. 49
  3. ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、381頁
  4. ^ a b c d e f g h i Seeing The 13th Century Heritage Statue In The Kebo Edan Temple.” (英語). Visit Bali. PT Pusat Informasi Pariwisata Bali. 2022年9月23日閲覧。
  5. ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、222頁
  6. ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、151頁
  7. ^ a b Kebo Edan Temple” (英語). www.Think Bali.com. 2022年9月23日閲覧。
  8. ^ Empat Situs di Gianyar Ditetapkan Sebagai Cagar Budaya” (インドネシア語). Gianyarkab.go.id. Pemerintah Kabupaten Gianyar (2019年12月1日). 2022年9月23日閲覧。
  9. ^ Objek Cagar Budaya Kebo Edan Sepi Turis” (インドネシア語). NusaBali.com. PT Sinar Nusrapress Utama (2019年12月5日). 2022年9月23日閲覧。
  10. ^ a b 地球の歩き方編集室 (2016)、84-85頁
  11. ^ 地球の歩き方編集室 (2016)、125頁
  12. ^ I Wayan Eri Gunarta. “Pura Kebo Edan Simpan Arca Siwa Bhairawa, Genah Nunas Tamba di Pejeng” (インドネシア語). Tribun-Bali.com. pp. 1-4. 2022年9月23日閲覧。
  13. ^ バリ王国の物語:その歴史、強力な王、そして歴史的な痕跡”. VOI (2021年3月29日). 2022年9月23日閲覧。
  14. ^ [Upper portion of a Bhairawa statue or \Pejeng Giant\."" OD-16813"]”. Leiden University Libraries: Digital Collections. Leiden University Libraries. 2022年9月23日閲覧。
  15. ^ 『インドネシアの事典』 (1991)、355頁
  16. ^ 青山亨 (2007年). “マハーバーラタの概要: マハーバーラタの主要登場人物の紹介とあらすじ (PDF)”. ジャワ文化概説 講義 2007S2-#06. 東京外国語大学 青山亨研究室. 2022年9月23日閲覧。
  17. ^ Pura Kebo Edan” (英語). Frommer's. 2022年9月23日閲覧。
  18. ^ Atmodjo (1983), pp. 49-51
  19. ^ Pura Kebo Edan” (英語). cityseeker. wcities. 2022年9月23日閲覧。
  20. ^ 嘉原優子「天女の遊び歌 (1) -バリ島の憑依儀礼に表れるカミ観念とめぐって (PDF) 」 『人文学部研究論集』第2号、中部大学、1999年、 85-122頁、2022年9月23日閲覧。

参考文献

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

クボ・エダン寺院のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



クボ・エダン寺院のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのクボ・エダン寺院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS