ギリシア考古学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 05:42 UTC 版)
「ハインリヒ・シュリーマン」の記事における「ギリシア考古学」の解説
シュリーマンは、発掘した遺跡のうち下から2番目(現在、第2市と呼ばれる)がトロイア戦争時代のものだと推測したが、後の発掘で実際のトロイア戦争時代の遺跡は第7層A(下から7番目の層)であることが判明した。第2層は実際にはトロイア戦争時代より約1000年ほど前の時代の遺跡だった。これにより、古代ギリシア以前に遡る文明が、エーゲ海の各地に存在していたということをも証明した。 また彼は、1876年にミケーネで「アガメムノンのマスク」のような豪奢な黄金を蔵した竪穴墓(竪穴式石室)を発見している。1881年にトロイアの黄金をドイツ国民に寄贈してベルリンの名誉市民となった。建築家ヴィルヘルム・デルプフェルトの助力を得てトロイア発掘を継続する傍ら、1884年にはティリンスの発掘に着手。 1890年、旅行先のナポリの路上で急死し、自宅のあったアテネの第一墓地に葬られた。
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