ガリア統治時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/06 07:39 UTC 版)
ダキアを経てローマ領内に移動した西ゴート族は、5世紀初頭の指導者アラリック1世のもとイタリア半島に侵入した。ローマ帝国の首都ローマを寇略しローマ人に衝撃を与えた。しかし皇帝の在所であったラヴェンナには手が出せず、西ゴート族は食料を求めシチリアを経由してアフリカ渡航を企図したが失敗に終わった。イタリアでの将来の見通しが立たなくなると、アラリック1世の死後、後継者となったアタウルフ幕下で西ゴート族はガリアへと移動した。西ローマ帝国は海上封鎖によって西ゴート族を飢えさせる作戦を取り、食料に困窮した西ゴート族はヒスパニアへと追われた。
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