ガザン・ハンのイスラームへの改宗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/01 10:17 UTC 版)
「ガザン・ハン」の記事における「ガザン・ハンのイスラームへの改宗」の解説
ガザンは、本来父アルグンの影響で仏教を信仰していた事が知られている。フレグ家がイスラームに改宗する以前はチベット仏教などに多大な寄進を行っていたことが判明しており、ガザンの封領ホラーサーン地方のハブーシャーンにおいて数座の仏寺が建立され、また首都タブリーズにおいてはフレグ時代に遡る仏寺の遺跡が二ケ所現存している。ガザンのイスラームへの改宗はバイドゥとの王位継承戦において、先のノウルーズが苦境に陥っていたガザンに、ガザン自身がイスラームに改宗する事によって全イスラーム教徒の支持を受けられることが出来ると力説した話が伝えられている。当初ガザンはこれを即決出来なかったようだが、再びノウルーズからヒジュラ暦690年(1290)代に「イスラームの帝王」が出現しイスラームの宗教と民衆を復興するだろうという予言を聞くに及んで、改宗の決断をしたという。 1294年6月16日(ヒジュラ暦694年シャアバーン月1日)にラル・ダマーヴァンド平原の父ゆかりのクーシュク(亭の類い)において、沐浴と衣替えなどの決斎ののち玉座のもと、特別に設えた王族用のテント式移動用モスクでシャハーダ(信仰告白)を行いイスラームに改宗した。 このシャハーダを先導したのはクブラヴィー教団の高名なシャイフであったシャイフ・サドルッディーン・イブラーヒームという人物だったことが知られており、これにならってガザン麾下の諸将および兵士諸軍が改宗に連なったという。
※この「ガザン・ハンのイスラームへの改宗」の解説は、「ガザン・ハン」の解説の一部です。
「ガザン・ハンのイスラームへの改宗」を含む「ガザン・ハン」の記事については、「ガザン・ハン」の概要を参照ください。
- ガザンハンのイスラームへの改宗のページへのリンク