カール・マルテルのプロヴァンス遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/12 06:14 UTC 版)
「ウマイヤ朝のガリア侵攻」の記事における「カール・マルテルのプロヴァンス遠征」の解説
カール・マルテルの尽力にもかかわらず、ダマスクスのウマイヤ朝のアンダルス方面軍は総督アブドゥルマリクのもとで南ガリアでの勢力を維持した。アヴィニョン、アルル、マルセイユを支配するパトリキウスのマウロントゥスがアンダルスに従ったためである。カール・マルテルの圧力を受けていたマウロントゥスは、自力でフランク王国に抗することができず、アンダルス軍を導入することで裕福な教会領のあるアヴィニョンを防衛しようとしたのである。 プロヴァンスに侵攻したカール・マルテルは、その攻撃的で高圧的な政策を恐れたゴート人やガロ・ローマ人の地元貴族たちの抵抗にあった。これに対処するため、カール・マルテルはランゴバルド王リウトプランドと同盟した。 737年、カール・マルテルはアヴィニョンを占領して破壊した。しかし彼の弟キルデブラント1世は、ナルボンヌ攻略に失敗した。その他、カール・マルテルはベジエ、アグド、マグローヌ、モンペリエ、ニームといったウマイヤ朝方の数々の城塞都市を落とした。プロヴァンスやローヌ川下流域のすべての反フランク勢力は一掃され、マウロントゥスはアルプス山脈に逃れた。しかし一方で、この遠征中にもアクィタニア公ウナール1世が後方を脅かした。アクィタニアは7世紀中盤からバスク人と組んで、彼らの戦力に依存していた。
※この「カール・マルテルのプロヴァンス遠征」の解説は、「ウマイヤ朝のガリア侵攻」の解説の一部です。
「カール・マルテルのプロヴァンス遠征」を含む「ウマイヤ朝のガリア侵攻」の記事については、「ウマイヤ朝のガリア侵攻」の概要を参照ください。
- カール・マルテルのプロヴァンス遠征のページへのリンク