カンタベリー大主教時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/12 06:10 UTC 版)
「エドマンド・グリンダル」の記事における「カンタベリー大主教時代」の解説
パーカーの死後、エリザベスの廷臣バーリー卿ウィリアム・セシルに強く推され、1576年カンタベリー大主教に着座した。1577年にエリザベスが出した「カンタベリー大主教管区における聖書釈義集会の全面禁止と各州の説教者を2~3人に削減する指示を管区内の各主教に伝達せよ」という命令に対し、拒否・反抗したために女王から職務停止と謹慎・蟄居を命じられた。死の直前になると目が見えなくなるなど老衰が進み、本人の希望もあって降任も検討され始めたが、結局職務停止などの処分はそのまま1583年にグリンダルが死ぬまで解かれることはなかった。職務停止になっていた6年間、カンタベリー大主教の職務はロンドン主教ジョン・エイルマー (en) が代行していた。エイルマーはグリンダルと同じストラスブールへ亡命していたうちの一人である。その死後、ウースター主教ジョン・ホイットギフト (en) がカンタベリー大主教を引き継いだ。
※この「カンタベリー大主教時代」の解説は、「エドマンド・グリンダル」の解説の一部です。
「カンタベリー大主教時代」を含む「エドマンド・グリンダル」の記事については、「エドマンド・グリンダル」の概要を参照ください。
- カンタベリー大主教時代のページへのリンク