カレッジでのキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 03:58 UTC 版)
「トッド・マリノビッチ」の記事における「カレッジでのキャリア」の解説
父親と同じUSCに進学したマリノビッチはここで初めて自由というものを味わった。進学に合わせて寮生活に入ったからである。遊びを知らないトッドは薬物に手を出すようになってしまう。それでも目覚ましい活躍を見せ、1989年には9勝2敗1引き分けの成績でトロージャンズをパシフィック10カンファレンス(現パシフィック12カンファレンス)優勝に導き、年明けの1990年ローズボウルでミシガン大学を破って優勝する。このシーズンにはUPI通信社とスポーティング・ニュース誌から1989年度最優秀新入生に選出されている。1990年には、退学しNFLへ行くのではという憶測が飛び交う中、ハイズマン賞の筆頭候補と目されていた。しかしながら、ヘッドコーチのラリー・スミスに授業をかなりの数出席していないということが知られてしまいアリゾナ大学との試合には出場させなかったため試合は散々な結果であった。また、サンボウルの全米中継でスミスに怒鳴るなど、ヘッドコーチとの仲は最悪であったが、スミスの娘とは懇意にしていた。その後コカインの不法所持で逮捕され退学、NFLのドラフトへ進むこととなる。
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